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スロバキアからの留学生が日本語で語る母国について
〜 緑園国際交流 第107 回 トークサロン 〜

107回緑園国際交流トークサロンが6月28日緑園クラブハウスで開催された。

 
 ヴァルゴヴァ・ドミニカさん  

 今回のゲストはスロバキア出身のヴァルゴヴァ・ドミニカさん。コメンスキー大学の3年生。日本に興味を持ち、「日本語と異文化コミュニケーション」を専攻。昨年の9月同大学からフェリス女学院大学に交換留学生として来日した。

“漢字が一番難しいんですよ”と語る彼女ですが、流暢な日本語で、祖国「スロバキア」の歴史、伝統文化や日常生活の様子等を映像を使って紹介してくれました。

スロバキアは中央ヨーロッパに属し、四方をチェコ、ポーランド、オーストリア、ハンガリー、ウクライナに囲まれ、国土が日本の約7分の1。スロバキア人が85%、ローマカトリック教が7割を占める民族国家です。

 

 まずは、スピーチの始める前に彼女から参加者にクイズが出され、スロバキアの人口は何人?(正解:545万人)、そして、首都はどこ?(正解:ブラチスラバ)と日本人がスロバキアについて、どれだけ関心を持っているかの質問で始まった。

つづいて、1800年代半ば、スロバキアがハンガリー王国の支配下にあって、スロバキアの民族運動が活発化していた時代、そのスロバキア解放運動の義勇兵の間で人気を博し、国境にそびえるタトラ山脈を題材に作詞され、1993年にスロバキアが独立すると国歌として定められた「稲妻がタトラの上を走り去り」の“スロバキアが激しい雷鳴の響きに深い眠りからついに目覚めた”という力強い歌が会場に流された。長い戦いの歴史を経て、漸く民族の独立をかちえたその思いが伝わって来るようである。

 

 この後、話は今日のスロバキア誕生の歴史に移り、古代ローマのスロバキア地域への侵略から、その後民族移動時代をへて、9世紀に現在のスロバキア地域を含む国家「大モラビア王国」の誕生。そして、10世紀にはハンガリー王国誕生(この時、スロバキア地域はハンガリー王国の一地域となる)、又18世紀にはスロバキアの民族運動によるスロバキア人のアイデンティティ主張の高まり、そして1918年のスロバキアとチェコ連合によるハンガリーからの独立宣言。

又、その後のナチスドイツ及び第2次世界大戦後のソ連との関わり、さらに1989年のビロード革命によるチェコスロバキア共産党支配の終焉。さらに1993年のスロバキア共和国とチェコ共和国の平和的分離にいたるまでの複雑な歴史的経緯について詳細に且つ熱心に語ってくれました。

そして、この後は少し話を変えて、スロバキアの歴史上の二人の正反対の性格を持つ一風変わった有名人の話が披露された。一人はエリーザベトという名前の女性で「血の伯爵夫人」という異名を持つ殺人鬼で、拷問と残虐な行為を繰り返し数百人もの人を殺し、吸血鬼伝説のモデルにも成った女性。

もう一人は盗賊団の首領として活動したヤノシークという男性。彼は金持ちを標的に盗賊行為を行い、近隣の貧しい村人達に盗品を配り、その優しさと勇敢さで現代でもスロバニアの英雄とされている男性の話。日本でもどこかで聞いたような話です。

  Happy birthday !  
 Happy birthday !  

 この後には、スロバキアの伝統、文化・自然遺産等の紹介があり、スシュスキ城をはじめ中世の城、教会・聖堂やタトラ山の中腹にある集落、カルスト地形にある洞窟等、またイースター行事での40日間の断食(休日は除く)や男性達が女性達に水をひっかけて、さらに柳の枝で編んだ鞭で打ち1年の美と健康を願う珍しい習慣等が紹介された。

 

 最後に、昨年、秋篠宮殿下ご夫妻がスロバキアをご訪問された際、ヴァルゴヴァさんの通うコメンスキー大学を訪れ日本語学科の学生さん達にお会いされたそうですが、その時両殿下と一緒に撮った写真を大変嬉しそうに見せてくれてスピーチが終了した。

なお、当日は丁度ヴァルコヴァさんの誕生日の日、最後にケーキとローソクが用意され、参加者全員による思いがけないハッピーバースデイの祝福に大いに盛り上がり、彼女にとって素晴らしい思い出の1日となったことでしょう。