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世に出ている歴史本を片っ端から読み、数々のエピソードを交えて語る歴史の場面、人物像は、聴く人達にイメージを膨らませ、興味をそそられ、皆真剣に聴き入る。 福田さんは、今日でちょうど450回目となる講演会だったそうだ。 今日のテーマは、「お江と春日局」~ 家光の生母と家光の乳母~。 お江の生い立ちから秀忠へ嫁ぐまでの略歴から始められた。秀忠との結婚は秀吉が家康との絆を強めるための典型的な政略結婚。家康は、当時の力関係から、到底断れるものではなかったが、悪い話ではなかった。待望の男子誕生、家康から「竹千代」の名を。乳母として、お福(春日局)が。 お福は、お江の叔父に当る信長を殺した斎藤利三の娘であり、お福が竹千代の乳母となることを歓迎はできなかったのでは。だが、お福は竹千代養育に献身。家康により家光と命名後、最もお福が心を砕いたのは家光が男子を儲けること。
二人の確執として、①お江は、お福に良い感情を持っていなかった、②お福の献身的養育の結果、竹千代はお福を母のごとく慕うようになった、③その後、お江は竹千代の弟・国松(のちの忠長)出産、容貌・身体能力・聡明さに優れていた。場内には次期将軍という評判、④長子相続制未確立の時代、お福は家康に直訴、家康は世嗣は竹千代と裁定、⑤竹千代は実はお福の子で、お江の子ではないとする説も。 お江は、力強く生き抜き、将軍の正室、生母、天皇の姑・祖母、関白の姑・祖母という地位を得ている。心残りは、最愛の息子・忠長を将軍にできなかったこと。秀忠も恐れる強い女性であったが、政治には介入せず、お福(春日局)とは対照的。 お福は、竹千代(のちの家光)が世嗣となり、家光の厚い信頼で大奥の基礎を築き、政治的にも絶大な権勢をふるった。 |