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No.126 緑園国際交流 トークサロン 
日本とリトアニアの100年の外交関係
リトアニア大使館の全権公使 ヴィオレタ・ガイザウスカイテさん

   
   
  第126回と回を重ねた今回のトークサロンは「リトアニア」です。
 みんさんリトアニアってご存じですか。もちろん国名は聞いたことありますよね。あの杉原千畝が命のビザを発給した国っていったら、「あーそれがリトアニアなんだ」と大方そいう感じではないでしょうか。でもそれ以上この国のこと詳しく知らないですよね。  

 今回は「日本とリトアニアの100年の外交関係」のテーマで、なんと元麻布にあるリトアニア大使館の全権公使が、この緑園に直接足を運んでいただいてのトークサロンでした。(なかなかこういう機会ってないと思いますよ) 

 全権公使のヴィオレタ・ガイザウスカイテさんは、前リトアニア大統領のアドバイザー兼報道官としてリトアニア政権中枢にいらした方です。そういう方の目線で日本とリトアニアのこれまでの外交関係を含め、歴史、文化等さまざまな視点でのお話がありました。以下、その概要です。

   
   

 自然崇拝、木の文化等日本との共通点もある国です。この機会にリトアニアに興味もってみてはいかがでしょうか。 

1.リトアニアとは
 リトアニアはヨーロッパ北東部、バルト諸国の一番南に位置し、豊かな自然と中世からの古い街並みを持つ小さな美しい国です。北海道の8割程の面積の国土に約300万人が暮らし、東京からの直線距離は約8000Km。東京からロンドンは9500Kmですから実はヨーロッパの中では日本から最も近い位置にあるといえます。隣国は北にラトビア、南にポーランド、ベラルーシ、西にロシア(カリングラード)で、言語はリトアニア語です。

 世界経済フォーラムによる「世界競争力レポート2015-2016」では36位にランクされています。特に女性労働力では15位で、女性の社会進出といいますか、男女平等の考え方が進んだ国でもあります。

2.歴史
 「リトアニア」の国名が歴史的書物に最初に登場したのが1009年。13世紀にはリトアニア大公国が建てられ、その後リトアニアは周辺諸国を征服、15世紀にはヨーロッパで最大の領土をもつ国となりました。16世紀にはポーランド王国と合同、ポーランド・リトアニア共和国が誕生しました。

 その後内紛、戦争等経て18世紀末ロシア帝国の支配下におかれることになるも、第一次世界大戦後の1918216日にリトアニアは共和国として独立しました。この日が独立記念日となっています。しかし第二次世界大戦中にソビエト連邦やナチス・ドイツからの侵攻を受け、リトアニア・ソビエト社会主義共和国としてソ連に編入されましたが、1990年再び独立を回復、2004年にはNATOのメンバーになり、EUにも加盟しました。  このようにリトアニアは歴史的に近隣諸国と独立をかけた激動を生き抜いてきた忍耐強い国でもあります。 

   

3.伝統・文化
 リトアニアはヨーロッパで最後にキリスト教を受入れた国ですが、現在では有数の敬虔なカトリック信仰の国です。しかしながら古くからの民族独自の自然崇拝への意識は色濃く残り、古代からの様々な祭りが行われています。また芸術活動を国家をあげて支援し、街には美術館や劇場など身近に芸術に触れる施設が充実しています。 

4.お酒と料理
 ビールとミードという蜂蜜酒が伝統的なアルコール飲料です。その他にブラックカラントという果実から作ったVORUTAというリトアニアワインもあります。伝統的なリトアニア料理といえば、シャルティバルシチャイ(ビーツとサワークリームを混ぜて作るピンク色の冷製スープ)、ギラ(黒パンから作るソフトドリンク)、マッシュルームスープ、チェペリナ(ジャガイモ団子の中に肉などを詰めたもの)、それにサコティス(クリスマスツリーの形をしたケーキ)などが挙げられます。

5.観光
 リトアニアの首都ヴィリニュスの旧市街は、1994年からユネスコの世界文化遺産に登録されています。中欧、東欧の中で最も大きく、美しい旧市街の一つで、歴史と文化が集積されています。その他にも100Kmにわたって延びる岬クルシュ砂州等国内で4件の世界文化遺産があります 

   

6.日本との外交関係
 日本とリトアニアの関係の始まりは、福沢諭吉の1862年カウナス訪問からであり、その後1922年に日本政府がリトアニアを初めて承認し、1933年にカウナスに日本領事館が設立されました。第二次世界大戦直前にここに赴任した杉原千畝は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきたユダヤ系難民たちの窮状に同情。19407月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことは広く知られ、これにより両国関係は伝統的に良好です。2007年には天皇皇后両陛下もリトアニアを公式訪問されています。

 両国間の経済交流も増加傾向にあり、リトアニアから日本へは、たばこ、レーザー、光学機器、リネンといった繊維製品等の輸出が近年大きく増加しています。

7.質疑応答
 プレゼンテーション後の質疑応答も活発で、隣国等との激動の歴史的背景の国でありながら、女性が活躍できているのは何故か、さらに今後ロシアからの侵攻等の危惧は抱いていないか等、この国ならではの本質的質問が多数ありました。
 これに対して全権公使は、ポーランド・リトアニア共和国時代の憲法より、男女含めた「平等」が謳われている。リトアニアのジャンヌダルクと称される女性エミリア・プラテルの存在は、戦う救国の女性として蜂起を象徴する人物となっている。また現実的にはリトアニアはNATO加盟国でもあり心配はしていない等、丁寧な説明がありました
 今日はリトアニアという、普段あまり聞くことができない国で、しかも全権大使の話ということで、多数のの参加者があった。