RCA 国際交流トークサロン 第158回

  国旗・国章の意味
歴史、文化、伝統を通じたイランの発見  
講師:横浜国大留学生 Hesam Enayati さん
博士課程(都市イノベーション/沿岸工学)
通訳石渡 舞さん(フェリス女学院大学卒)
   
   

 第158回目の緑園都市コミュニティ協会(RCA)の国際交流ト―クサロンが9月28日(土)緑園クラブハウスで開催されました。スピーカーはイランから横浜国大(YNU)への留学生Hesam Enayati さんをお招きしての講演でした。彼は3人の姉、1人の兄、という大家族で育ち、趣味はランニング、サイクリング、キャンピング、登山といった自然とスポーツに関するもの、と言っていました。日本政府の奨学金を得て、昨年10月から3年間、博士課程後期で都市イノベーション/沿岸工学を研究、勉学中。

 通訳はフェリス女学院大学卒の石渡 舞さんでRCA国際交流グループの会員。すばらしい通訳ぶりでした。

 Hesam Enayati さんは、イランについての基本情報国旗・国章自然・気候、歴史、現在の抱える課題、 素晴らしい国民性、ぜひイランを訪れてほしいポイント等幅広くについて語ってくれた。

 隣国
 北西にアゼルバイジャン、アルメニアと国境を接する。にはカスピ海が。北東にはトルクメニスタン、にパキスタン、アフガニスタン、西にトルコ、イラクに接し、にはペルシャ湾、オマーン湾が広がる。海を挟んで対岸にはクウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンが。

  自然
 イランの景観は、無骨な山々が卓越し、これらの山々が盆地や台地を互いに切り離している。
 イラン西半部はイランでも人口稠密であるが、この地域は特に山が多く、ザーグロス山脈やイランの最高峰ダマーヴァンド山 (標高: 5,604 m) を含むアルボルズ山脈がある。
 イランの東半部は塩分を含むキャビール砂漠、ルート砂漠のような無人に近い砂漠地帯が広がり、塩湖が点在する。
   

  気候
 全般的には大陸性気候で標高が高いため寒暖の差が激しい。特に冬季はペルシャ湾沿岸部やオマーン湾沿岸部を除くと、ほぼ全域で寒さが厳しい。国土の大部分が砂漠気候あるいはステップ気候であるが、ラシュトに代表されるイラン北端部(カスピ海沿岸平野)は温暖湿潤気候に属し、冬季の気温は0℃前後まで下がるが、年間を通じて湿潤な気候であり、夏も29℃を上回ることは稀である。年間降水量は同平野東部で680 mm、西部で1700 mm以上となる。  

テヘランなどの内陸高地はステップ気候から砂漠気候に属し、冬季は寒く、最低気温は氷点下前後まで下がることもあり降雪もある。一方、夏季は乾燥していて暑く日中の気温は40度近くになる。 

ハマダーン、アルダビールやタブリーズなどのあるイラン西部の高地は、ステップ気候から亜寒帯に属し、冬は非常に寒さが厳しく、山岳地帯では豪雪となり厳しい季節となる。特に標高1,850 mに位置するハマダーンでは最低気温が-30度に達することもある。 

  イラン東部の中央盆地は乾燥しており、年間降水量は200 mmに満たず、砂漠が広がる砂漠気候となる。
 特にパキスタンに近い南東部砂漠地帯の夏の平均気温は38℃にも達する酷暑地帯となる。 

ペルシア湾、オマーン湾沿岸のイラン南部では、冬は穏やかで、夏には温度・湿度ともに非常に高くなり平均気温は35℃前後と酷暑となる。年間降水量は135 mmから355 mmほどである。

 【歴史】
 旧石器時代→新石器時代→銅石器時代→青銅器時代→初期の鉄器時代と変革を遂げ、現在のイランを形作った王朝時代が始まる。膨大な歴史の中から、今回焦点を当てたのは、アケメネス朝及びサーサーン朝。

 《アケメネス朝の特徴と取り組み》                 《サーサーン朝の特徴と取り組み》 
  ・奴隷の開放                                 ・経済的、軍事的に国を再建
  ・全ての民に宗教の洗濯する権利があると宣言             ・その後400年以上続く主導権の座に返り咲く
  ・新の平等の確率                              ・最盛期には、帝国の領土は今日における
  ・前支配者が奪った財産を人々へ変換                    18もの国と地域を包含していた。
  ・地元の支配者は統治を継続                           
  ・地域発展への取組み                    イラン革命1979Islamic Republic of Iran


 【今日のイランが抱える課題】
 ・穏健派のマスード・ペゼシュキアン大統領が今夏誕生し、欧米との会話の糸口が出てきたと期待はされたが、最高指導者
  アリー・ハメネイ
師の意向に従う必要がある。

 ・欧米からの長引く経済制裁で物価も上がり生活が苦しいので、多くの国民は制裁解除を望んでいる
 ・女性の宗教的立ち位置
   
   

 ・富裕層/高学歴者の海外移住による、国内の枯渇

 【素晴らしい国民性】
 1.家族を大切に、他者に対してもフレンドリーに振る舞う特徴がある。
   ・最低でも週に1度は親を訪ねる
   ・両親を老人ホームへは入所させることはせず、老後の面倒は家で看る

 2.ご近所付き合いを大切に、助け合う(出勤時のマイカーの乗り合いなど)
 3.慈善団体がとても多い
 4.友人とも定期的に交流
   
一人で出掛けてもきっと知人に会えるという安心感で孤独を感じたことがない。

 【日本人に是非ともイランを訪れてほしいイランのポイント】
 1.最古の歴史を誇る国
 2.四季を通年感じられる
 3.森、海、山、砂漠の存在
 4.これほどまでに民族に多様性がある国はない
 5.ハンドクラフト
 6.古代の詩人や作家が有名。時代や思想、自然を反映した詩が多く遺されている
 7.紛争の多い中東の中でも安全

 質疑応答の時間に入り、下記のようなことが、会場の皆さんから出されました。

 Q. 近年のイランは石油を最大の資源としているが、王朝全盛期のアケメネス朝では?
 A. 現在の様な『イランといえば石油』と言った代表格こそ存在しなかったが、最盛期ならではの広い領土を活用し各所から湧水を掘り当て、それを    元手に農業などを発展させていきました。

 Q. イランもアジアの一部と感じ親近感を覚えた今日のトークサロンだった。
  写真の中に日本の琴などに似た楽器が見えたが、イランと日本の楽器に共通点はあるか?
 A.    楽器においてはピアノやバイオリンなど輸入品を使用することも勿論あるものの、7割以上がイラン独自の楽器と言えます。アジアの一員として日  本の琴に似た楽器があるのも事実です。

 Q. 日本の好きなところは?
 A. 安全性、日本人の責任感の強さ、文化です。

 Q. いつからイランという国名で呼称するようになったのか?またその由縁は?
 A 国名の由来、元々エランと呼ばれていた。エランは「アーリア人の土地」と言う意味です。
  19334月に正式名称イランとなりました。

  通訳してくれた石渡舞さんが、今日のサロンでの感想を寄せてくれました。
 「本年7月、穏健派のマスード・ペゼシュキアン氏が新大統領に就任し、欧米との関係緩和が期待されましたが、Hesamさんが
  聞かせてくれた現在の状況を鑑みると、制裁がすぐに解除されることは容易ではなさそうです。
 今日のトークサロンで学んだイランの実情を踏まえ、これまでとは違った視点でイランのニュースを追っていきたいものです。」