緑園国際交流 第138回トークサロンが11月24日(土)緑園クラブハウスで開催されました。
スピーカーはチェコ大使館次席・参事官のミラン・スラネッツ(Milan Slanec)さん。チェコ語でのプレゼンテーションであったので、大使館のエクゼクティブ・アシスタントの村上さんに通訳を、また、文化部主管の一等書記官モニカ・ドビアーショヴァー(Monika Dobiasova)さんにも参加いただいた。
テーマは“チェコの魅力~歴史・文化~”。まず、ミラン・スラネッツさんから“チェコに行った人は、いますか? 手を挙げて下さい”との問いかけに多くの手が挙がったのに、少々驚いておられた。
日本に来て驚いたことは、世界地図上、日本が真ん中で欧州は西の端に追いやられている。チェコは東欧の一つの国と言われているようだが、あまりそう言われたくない。欧州の中心に位置しており、中央ヨーロッパではあるが、国としてはもっと西より。面積は北海道と同じで、人口1050万人。気候は日本より4~5度低く、大陸性気候で夏はからっとして湿度が低い。海への出口なく海に対する憧れは大きい。全体がなだらか丘で標高は最高で1600m余(因みに、チェコの平均の標高は430m)。
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チェコ共和国の国章 |
チェコはボヘミア(西部)とモラヴィア(東部)の2つの地方に分かれる。放浪民を意味するボヘミアンは16世紀インド方面からフランスに渡ったジプシー(ロマ)を意味するが、チェコのボヘミアとは全く違う。上記2地方以外に狭い面積ではあるが、モラヴィアの北東部(ポーランドとの国境)近くにシレジア地方がある。国の紋章はボヘミア、モラヴィア、シレジアの紋章を取り入れている。ただし、ボヘミアの紋章は2つで4つの紋章で構成されている。国境は山によって囲まれており、山が国を別けている。
チェコの重要性に関し、ドイツの一将軍が“チェコを支配すれば全欧州を支配できる”と言ったことでも地理的重要性が判る。
ドイツの影響を強く受けている。悪い意味では圧迫、良い意味では文化、経済面で大きな影響を受けた。1918年、第一次世界大戦(WWI)後、チェコ・スロヴァキア共和国成立。1か月前建国100周年を祝った。WWI前のオーストリア・ハンガリー帝国を批判的に見る意見が多かったが、多くの民族が共存出来たという優れた面が見直されるようになった。19世紀後半の憲法も良いと見直された。オーストリア帝国時代の経済、文化、教育等の見直しが進む。1918年以降、色々な国の影響を受けた。特に少数民族のドイツ人とは平和裏に共存(後の話になるが、上手く行かずWWII後追放。
チェコ・スロヴァキア オーストリア・ハンガリー帝国に属していたチェコはオーストリア帝国の一部で、産業が進んでいた地域。産業の73%がチェコに。
スロヴァキアはハンガリー帝国の一部でハンガリーより圧迫を受け、あまり産業発達していなかった。言語・民族は似ているがスロヴァキアは未開発であったので、チェコより人を派遣指導。スロヴァキアに良い影響を与えたが、ある種反感も持たれた。後塵を拝しているのが面白くない。
WWII後、ドイツ人を追放、チェコはスロヴァキアのインフラを助け全体として発展。1968年、別々の国として連邦を結成。
1989年、民主革命(ビロード革命)により共産主義体制終結
1993年、平和裏にスロヴァキアと分離・独立。 国民投票行わず上層部同士で話し合い。国民投票をしていたら分離反対が多く実現していなかったかも。しこりを残さず平和裏に分離。今でも一番親しい国は?と問われるとスロヴァキアと答える。それ程良い関係。特に、ユーゴスラビアの民族紛争と比較して見て、歴史上特異な良い例と考えられる。
プラハ
首都、人口120万人(第2の都市人口40万人足らず)8~9世紀街に出来、1,000年の歴史が残っている。石造り。特色として、①戦禍なし、②オーストリア・ハンガリー帝国時代、首都でなく地方都市であった(首都では大規模の改築が行われた)。従って地方のまま12、16、18、20世紀の建築が町の景観として見られる。百塔の町といわれるが400位の塔があるのではないか。
プラハ旧市街
天文時計(15世紀)同じものを作らせないため、作者の目を潰したとの話あるがこれは作り話。
代表する歴史的な町
Karlovy Vary(チェコ最大の温泉町)、Cesky
Krumlov(中世の町、城)、Kutna Hora(鉱山の町)、Telc(ルネッサンス式城館)。プラハやチェスキークロムロフは観光客が多すぎ、本来の町が失われつつある。
城と宮殿
要塞と防御の性格、12~15世紀に良くもこんな物が出来たと感心。チェスキークロムロフ城、Hluboka城、Karlstejn城等表示。所有者にとってメインテナンスが問題で観光局は財源の確保に頭を痛めている。
世界遺産
レドニッチェ城、ホラショヴィツェの歴史的集落(18世紀集落)等
自然
町と城だけでなく自然の美しい所が多いので訪ねて欲しい。
代表する人物
スメタナ:日本でモルダウ(ヴルタヴァ)が非常に有名なのに驚いた。原曲と日本語での曲を流した。イスラエルの国歌に似ている。
ドヴォルザーク:交響曲新世界。アメリカに渡った時作曲。スピーカはチェコ人の心に強く訴える音楽と思っている。
ハベル:ビロード革命(共産政権打破)の中心人物、チェコ共和国初代大統領
カレル4世:チェコの第一位の人物。1350年プラハの原型を作る。アルプス以北で最初の大学カレル大学を創設。
芸術家
ムハ(仏語でミュシャ)日本で彼が有名なのに驚いた。昨年彼の個展を開いたが3か月で65万人以上来場。天皇・皇后両陛下も来場。
カフカ:ユダヤ人20万人住んでいた。文化・経済・芸術で寄与。WWIIナチスで命落とし大きな損失。
カレル・チャペック:ロボットの言葉を最初に使用した小説家
建築家:ヤン・レツル:原爆ドームの設計者。
スポーツマン:マルチナ・ナブラチロワ(体操選手)他
伝統的なブランド
Pilsner Urquell(アサヒビールが買収)。ピルスナーはチェコの町の名前に由来。本場でないと樽からの本物のビールを味わえない。
食事:カロリーが高い。大使館で持て成す。
イースター:鞭をもって女の子を追いかけ回す風習あり。
プレゼンテーション後の質疑応答
① チェコ語はどの系統の言葉?
ロシア語,ポーランド語と同じスラブ語系。アメリカのある大学の調査で一番難しい言語の一つとなっている 。
②宗教:無宗教が25%と多い。オーストリア帝国時代の影響でカトリックが主、続いてプロテスタント。
③上層部で相談しスロヴァキアと分離したが何のメリットがあった?
決める過程で問題や課題が多くあった。種々議論したが首脳は面倒くさくなり、出て行きたければ出ていけ と言う雰囲気でなった。
④産業が強いというが?:オーストリア・ハンガリー帝国の産業の73%はチェコ。WWII前、世界20位。WWII後 、社会主義体制の中、チェコは工業を担当。
今では、外国資本の部品供給に組み込まれた。Skodaはチェコの有名な自動車メーカーだが、今ではドイツの フォルクスワーゲンの仲間。ヒュンダイ、トヨタ進出。一大部品工場といえる。特にドイツの工場への部品 供給は密接。自動車以外では、コンピューター(アンティ・ウイルス)、電気関係
⑤女性進出:活躍できる仕組みは出来ていると考えている 。
⑥最後に一等書記官に日本の良い点と悪い点は?との質問。
沖縄、北海道など出張し感じた事だが、自然が多様で美しい。相撲等文化面でも多様性を感じる。
悪い点に関しては外交官らしくノーコメント。
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