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貧富の差激しく、 国内避難人600万人も
 国境なきコロンビア人
 緑園国際交流 トークサロン第122回

  緑園都市コミュニティ協会(RCA)国際交流委員会が主催するトークサロン第122回が10月22日(土) 緑園クラブハウスで開かれた。テーマは「国境なきコロンビア人」。

 
今回のスピーカー、エクトル・シエラ(Hector Sierra)さんは南米コロンビアのご出身

 キエフ国立演劇大学映画部に留学中の19864月チェルノブイリ原子力発電所事故が発生。5月にいきなりの夏休みになり、大学からその理由を明かさず休校になるので、どこかへ行って勉強しろと言われ、金沢にいる友人を頼り日本に来た。その時、日本は資本主義国家なのに、豊かな共産主義のように見えた。この事が再来日する強い遠因となった。再来日して九州大学(日本語)、九州芸術工科大学(研修生)で学び、日大大学院芸術学研究科(修士・博士課程)を終え、コソボ紛争を現地で見る事から私の役割が始まった。

 「国境なきアーティストたち」を立ち上げ、人道活動を行うことになる。 多くの紛争地を訪問した。コソボ、東チモール、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、チェチェン、ニューヨーク(911後)、ハイチ(ハイチは横浜の「ハイチの会」との共同作業)、アフガニスタン、コロンビア等など。

 各地の活動をビデオで細かに紹介しつつ説明があった。 紛争でトラウマをもっている子ども達が日本の伝統文化の一つである折り紙を通して少しずつ「こころ」が癒えていくのを実感し目撃した。芸術を通して子供達の傷をいやし、彼等がアーティストになる手伝いをしてきた。

 ある小学校で「私の町」というテーマで絵を描かせた。子ども達は今起きている現実を、心のありようを描く。コソボでは武器、暗い色彩。アフガニスタンでは破壊された仏像を。NYのツインタワー前の小学校の生徒はその崩壊するビルを避けたい記憶を。

 紛争でのトラウマが絵を画く事と、折り紙を通じて少しずつ心が癒えていく。日本の子ども達はとても明るい色彩の色、とくに赤を多用して絵を描いていく。現実を反映して。

 アフガニスタンでは学校にも行けず、毎日織物を織る少女。カブール市内では絵を描くことさえ禁止されている現実(カブールでは政府の特別許可を貰って絵を描いてもらった)。様々な民族があり、様々な文化がある。文化と宗教により、現実をより複雑にし、国を纏めることが難しい。

 今年8月、コロンビア政府とFARC(コロンビア革命軍)が和平協定を締結したと発表。その影響でSantos大統領は今年のノーベル平和賞を受賞することになった。しかし、この和平合意は国民投票で否決され50年間に及ぶ武力紛争に終止符を打つはずの歴史的合意に有権者がノーを突き付けた形になった。50余りの資産家が国の90%を占め、貧富の差が著しいコロンビアの現実では、共産主義でなくとも不満分子がこの格差に憤り、声を上げる形(FARCの如き活動)は無くならないだろうと言う。前大統領ウリベはFARCに対する強硬策で知られており、ペルーFujimori大統領より1万倍も強硬だという。ウリベはFARCに対する強硬策しか政策がなく、且つ次期大統領への返り咲きを狙っている。FARC等との長い間の紛争で非常に多くの国内避難民が発生している。難民も国外に出ると難民として認められるが、国内避難民は難民として認められず、非常に大きな問題を抱えている(コロンビアの国内避難民は600万人と言われている)

 不思議なことに“幸せの調査”をすると、コロンビアはそんなに豊かでないのに”幸せ度”が高く、逆に、日本の幸せ度は低い。自分の宗教観はキリスト教の価値観を持つが、無宗教といった所。チャリティーとは無宗教でアクティブな善を意味すると考える。日本の社会には階層の縦の階段があり、その階段を一つずつ登って行くが、各階段で一人だけ目立つと即打たれる社会だ。それぞれの階段で打たれないように登って行かねばならない社会だ。

 彼には下記の著書がある:

「あの日のことをかきました」講談社 2002
「国境なきアーティスト」寺小屋新書 2005
「なけないちっちゃいかえる」鈴木出版 2004
「だっこして」佼成出版 2007
「シーソーあそび」絵本塾出版 2012
「じゅっぴきでござる」佼成出版 2013